あれでよかったのか…日々のこと。

どうってことない日々のこと

罪悪感のあった母の日が気にならなくなった ~母から連絡があり、顔を合わせることに…

今年の母の日は何とも思わず過ぎた。

「母の日」の言葉を何度も見聞きしたが、何とも思わなかった。

全く意識しなかった。

 

距離を取り始めた頃は罪悪感でいっぱい。

母の日ではなくても自分を責める日々。

「私は私の人生を生きるのだ。この決断は間違っていない。」などと色々と考えて決めたはずなのに罪悪感はついてくる。

 

5月が近づくと、至る所で母の日の事ばかり取り上げる。

自分が気にしていることは、些細なことも目に付く。

母の日にプレゼントを贈るのが当たり前なのに、私は距離を取ることを選んだ…親不孝だ、などと自分を責めてばかりいた。

 

「母の日にプレゼントを贈らないといけないのに、やっていない。」、「みんなやっているのに。」と。

 

自分の家庭だけがおかしいと思っていた。周りの人たちはみんな親子仲良く過ごしているのだと思い込んでいた。

母親を嫌うなんてあり得ないこと、責められることと思っていた。

 

どこからきた思い込みだったのだろう。

 

理想を見すぎていたのかもしれない。

こうすべきだ、こうあるべきだ、を強く思っていたように思う。

「家族は仲のいいもの、仲良いいのが当たり前。」

 

時折、目にする、耳にするものに救われた。

 

何かの番組でマツコ・デラックスさんが「毎日笑いあってる家族なんていない。」と言っていた。

笑いあってると思ってた、そうなんだ、そんなもんなんだ、と思ったのを覚えている。

 

何でいい歳まで家族神話を信じていたのだろう。

様々な状況の人がいるのに。

家族が仲のいい友達の話を聞いてそう思ったのかな。

そんな何人もの話聞いたわけではないのだけど。

 

本やネットで同じような悩みを持つ人の話を読んだりして、自分の思いを肯定していった。

 

同じような悩みのことが書いてある本に大体書いてあった、「親と距離を取りなさい。」と。

それには罪悪感がつきまとうということも。

 

自分の選択は正しかったのだと思えるようになった。

気が楽になった。

罪悪感も薄れてきた。

 

そして次に浮かぶのは、「いつ接点を持つことになるだろう。」ということ。

 

罪悪感が薄れた代わりにこの考えが浮かんできた。

 

いつかはその日が来るのだ、と。

 

それも月日が過ぎると考えないようになった。

 

そして今年2月、その日が来た。母親と距離を取って10年。

 

父親が危篤になったのだ。

 

初めは兄から連絡があり、それで事が済んだかと思ったが、母からも連絡が来た。

 

事情が事情なので必要事項を話しただけで終わった。

 

色々考えていたのよりは普通に話せたし、精神的なダメージも少なかったように思う。

 

色々と事情があり、私の子どもには祖父の容体を伏せることにした。

母親に事情を話したら伏せた方がいいと言ったので、母親からの連絡はLINEにしてもらった。

 

こんな時に不謹慎ではあるが、私の精神的には母親と直接電話で話すのではなく、LINEでのやり取りになり、楽になった。

葬儀への参列も散々悩んだが、子どもの事情と子どもに伏せている状況、コロナ禍で他県に行くことへの不安などもあり参列しないことにした。

今の家庭を優先した。

 

親の葬儀に参列しないのは親不孝なのかとネットで色々検索して、自分の気持ちを肯定させる様々な意見を読んで気持ちを落ち着かせた。

 

コロナが落ち着いたらお線香をあげに来て、と母親は言っていたがなかなかコロナも落ち着かず。

 

それからも遺産の相続放棄についてのやり取りもLINEで行っているので、今回のことで母親と話したのは短い会話を2回だけ。

 

そして、納骨式への参加の有無を聞かれた。

最初は時間的に無理かと思われたが、どうにか行けることになり、子どももお別れをしたがっているし、今後コロナがいつ落ち着くかも分からないし、色々悩む私の事だから、この機会を逃したらいつお墓参に行くかを考えることに時間を無駄に使いそうなので、この機会に行くことにした。

 

10年ぶりに顔を合わせることになる。

今は何も考えていない。

時間的にも早く帰らないといけないし、コロナでどこかで食事とかにもならなそうなので、気楽に考えようかと思っている。今のところは。

 

いつ母親と話すことになるのか、会うことになるのかと考えていたが、世の中がこのような状況のときになるとは想像もつかず。

大変不謹慎ではあるが、この状況で感情、精神的には助かったと思っている。