あれでよかったのか…日々のこと。

どうってことない日々のこと

母親への罪悪感が薄れていったのは、時間と…

 母の日が近づくと、様々なところで母の日のギフトのチラシや母と娘の心温まる新聞記事を目にしました。

 目にするたびに、みんなは感謝をして贈り物をしているのに、私は…と罪悪感を感じていました。

 当時は母親と娘の「友達親子」という言葉も話題になっていました。

 また、世間話の「実家には帰っているの?」という言葉も私には辛かったです。

 

 母親の「何であなたは心配してくれないの?」という言葉で、こんなに我慢して母親を受け止めてきたのに、これでも足りないの?、母親は今後もこのように求めてくるだろう、でももう私は限界だ、と距離を取ることにしました。

 

 罪悪感が薄れていったのは時間が経ったことと、次のようなことだったと思います。

 

〇罪悪感を感じるたびに、「母親と今後も付き合い続けていたら私の精神に悪く、私の家族に悪影響を与えることになるから、これでよかったんだ。」と思うようにしたこと。

 

〇同じ家庭で育った兄が私の考えを認め、尊重してくれたことで、自分の考えは間違ってないのだと思えたこと。

 

〇新聞や本などで、同じように母親との関係に悩む記事などが取り上げられ、その解決法として、「距離を取ること。」、それには「罪悪感が伴うこと。」を目にすることが多くなったこと。

 

 ある時、「母親が父方の親戚とは縁を切る。」と言ったと父から聞きました。

 母親は父方の親戚の悪口を言っていたし、父とも家庭内別居だし、まあ言い出しそうだとは思いました。

 そのあと、父方の親戚の法事に行ったとき、母親のことをどう聞かれるかと気が重かったです。

 父は6人兄弟の末っ子なので、いとこの中では私が一番年下、一番上のいとことは歳がとても離れていました。

 よく面倒を見てくれた一回り上のいとこのお姉ちゃんとその妹に母親のことを聞かれました。

 母親と距離を取っているとは言わず、分からないと言ったのですが、「散々父方の親戚に助けてもらったのに、縁を切ると言うなんて。」などと言っていて、申し訳ない気分になりました。

 

 そのいとこたちから、母親が父と父方の親戚の悪口をよく言っていたと聞かされたのです。

 母親は父の実家に行くと、いとこたちとよく話していたのを覚えています。

 母親と歳が近い、私のいとこたちとよく長電話もしていました。

 その話の内容が、どうやら父、父方の親戚の悪口だったようなのです。

 私に言ったのと同じで、「○○家(父親の苗字)は…。」というように悪口を言っていたようで、いとこたちも「私たちも○○家なんだけど。」と言っていました。

 いとこに私と母親との関係を話し、受け止めてもらいました。

 

 もう、衝撃です。

 まさか兄と私以外に父の悪口を言っているとは思いませんでした。

 それも父方の親戚に。

 

 それまで、このように考える私が悪いのではないかと自分を責めることが多かったのですが、いとこたちの話を聞いて、自分を責めなくなりました。

 

 自分が子どもの頃は、大人は誰もがしっかりしているものだと思っていましたが、自分が子どもを育ててみて、このような未熟な人間が子どもを育てているのだなと思いました。

 母親も育った家庭環境がよくなく、育児は大変だったと思います。

 私は子どもに同じような思いはさせないようにしようと思いました。

 でも、母親と同じことをしてしまう怖さがありました。

 考えなどが卑屈で、自己肯定感がない私が育てて子どもに悪影響を与えたらどうしようかとも悩みました。

 子どもに悪いこともしてしまいましたが、今のところ2人の子どもとの関係は悪くはないように思います。