あれでよかったのか…日々のこと。

どうってことない日々のこと

なかなか消えない罪悪感 -二曲の歌詞-

日々、いつかかってくるか分からない母親からの電話からは解放されましたが、

「私が我慢していれば良かったのではないか。」

「本当にこれでよかったのか。」

「他にもっといい方法があったのではないか。」

「親不孝ではないのか。」

「孫から祖母との交流を奪ってしまった。」

東日本大震災が起きて、皆が絆を大事にしているのに、私は切る決断をしてしまった。」

などと、何をしていても頭に浮かび、そのことばかり考え、胃痛、ゲップが多い日が続きました。

そのたびに、

「数十年我慢してきたので、もう解放されていいのだ。」

「他の方法はなく、我慢か距離を取るしかなかったのだ。」

「育てて貰い、悪いことばかりではなく、いいこともあったので親不孝かもしれないが、こちらも自分を守るためには仕方ないことだったのだ。」

「子どもたちには夫に実家に連れて行ってもらうなど交流を持つ方法はある。」

などと思いました。

震災がきっかけで私のように関係を見直したり、絶ったりする人もいると聞き、どこか安心しました。

 

でも、全然消えない罪悪感。

周囲もその決断でよかったのだと言うのだけれど、罪悪感は消えず。

 

小さなことでもいつまでも悩む性格なので、このような大きな決断に悩まないはずはないのですが、ずっと悩んでいると精神的によくはなく。

 

悩んでいるとある曲が前奏から頭の中で流れることがありました。

Mr.Childrenの「終わりなき旅」です。

何度も浮かんでくるので、しっかり歌詞を読んでみると今の私に合っている歌詞に思えました。

もう一曲は山下達郎さんの「希望という名の光」です。

この二曲の歌に精神的に助けられました。

聴いて自分の決断を肯定していたように思います。