あれでよかったのか…日々のこと。

どうってことない日々のこと

子どもに母親と同じことをするかもしれない不安

母親から父親の悪口を聞かされてきたので、私は夫の愚痴は子どもたちに言わないようにした。

当たり前のことだけど。

 

母親の目を通して見ていたから父親を長年嫌ってきた。

母親との関係を見直した30過ぎまで。

母親の目を通さず、父親と接してた感想だと、会話がかみ合わなかったり、理不尽に怒られて外に出されたりなど色々あったが、経済的な部分では世話になってきたのだと思い直した。

 

夫には子どもと幼い時からか関わっていないと、大きくなったときに相談とかされないよ、と言っていた。

幼少期はうまくかかわっているように見えなかったが、今現在は、父と子の会話は多少あるよう。

私と父親との会話よりはだいぶある。

 

子どもと接していると、私の方が多く関わっていて、夫の影は薄い。

何か買ってあげるにしても子供が目にしているのは、私がお金を支払っている姿。

子どもが幼い時は、そのお金が夫の給料から出ていることなど子どもは知らない。

なので、子どもには、夫のおかげで生活が成り立っていることを伝えたりした。

 

自分の性格はひねくれていて、ねじ曲がっていて、卑屈でマイナスなことばかり考えてばかりで、自分で自分が面倒くさいと思っている。

変に気を使ってしまうし、生活面で人に合わせて譲ることが困難に思えて結婚も週末婚が希望だった。

経済的に無理だけど。

  

職場など家庭以外では人に合わせることが多い。

遠慮しまくり。

外では、多分普通に対応出来てるのではないかと自分では思っている。

外で気を張って人当たりがいいように頑張っているから、帰宅するとぐったり。

家での言葉使いもひどい。

 

子どもを育てていく中で、私が子どもを育てることによる子どもへの影響が心配だった。

 

いくつ歳を重ねても、精神年齢は18や20歳くらいからあまり変わっていないように思う。

精神的に大人になれていないなぁと思うことばかり。

自分が子どもの頃は40代なんて大人なんだと思っていた。

でも、自分が40代になってみると、こんな精神的に幼いのかと思う。

 

母親もこんな精神が幼い状態で私たちを育ててたのかと思ったりする。

母親の場合は、自分の寂しさを子どもにぶつけてしまい、それを聞いた私は本来なら子どもらしく過ごす時期を精神的に大人になって、母親を受け入れる精神年齢にならざるをえなかった。

 

自己肯定感のない私が育てるので 、色々な育児本を読んだが、頭ではそうした方がいいのは分かるけど実行するのは難しかった。

 

育児をしている中で、母親に言われていたことを自分が言うだけで落ち込んだりもした。

それが母として子どもに言う当たり前のことであっても「母親が言っていた。」というだけで子どもに言ってはいけないことのように思って自分を責めたりもした。

 

子どもには叱るというより自分の感情でヒステリックに怒ってしまうことが多い。

子どものためと言いながら、自分が不安だから怒っていると思う。

子どもが幼い時は、こんな私が育てるより、違う人に育てて貰った方が子どものためになるのではないかと思ったりもした。

 

動物が育児放棄したから赤ちゃんを飼育員が育てたという話を聞く。

そのたびに、人間も動物だから育児に向き不向きがあって、育てられない人もいるのではないかと思ってしまう。

人間は育てるのが向かないからと簡単に人に任せることは出来ないけれど。

 

2人の子どもが小さい時、夫の帰宅はずっと22時過ぎだった。

1人ですべてやっていた。

同じような人はたくさんいて、みんな頑張っているのだとは思う。

でも、大変だった。

精神的に頼れる人がいないのも。

でも仕方ない、いないのだから。

 

でも、育児について相談できる方とのいい出会いもあった。

保健師の方、心理士の方、新聞の集金に来ていた方、今の職場の事務の方。

この方たちは、育児について母親について相談する私を受け止めてくれ、アドバイスをくれた。

とても助かった。

 

幼かった頃の子どもからの手紙が多くある。

私が怒った後に書いているような文面が多い。

怒ってばかりで申し訳なく思う。

 

娘との関係は気を付けなければと思った。

あえて、突き放してるのかもしれない。

依存関係になりたくないから。

親子といえども相性はある。

女同士だと余計に。

 

子どもたちには私の都合で祖父母との関りがないことを話してある。

娘が聞いてきたので、大まかなことは話してしまった。

 

子どもが大きくなって、「お母さん、あなたたちが幼かった時、理不尽に怒ったりひどいことしてたでしょ?」と聞いてみたが、あまり覚えてないそう。

私に言えないだけかもしれない。

子どもたちが30代になったり育児をするようになって、私にされたことを思い出して悲しい思いをするかもしれないけれど。

 

実家と距離を取ったことに罪悪感を感じるたびに、「でも、子どもが帰ろうと思わない実家にしたのは親なのだ。」と思うようにして、自分が決めた「実家と距離を取る。」という行動を肯定していた。

 

なので、もし家を離れた子どもたちが実家であるこの家に近寄ることがなかったら、「私は子どもが帰りたいと思う家庭を作れなかったのだ。」と思う。

 

私は母親の偏った考えを正しいと信じてしまったけれど、我が子2人は自我が強いのか私が色々言っても聞かない。

影響もされている感じがしない。

人格形成に環境など様々な影響があるのだろうけど、我が子を見ていると、その人が持っているものの強さも感じる。