私は母親とのことを兄や父に相談したことはありませんでした。
父については母親の目を通した悪いことしか聞いていなかったし、兄とは小学生の時はよくケンカをしたりしてましたが、中高生の頃はほぼ会話はなかったので。
「お兄ちゃん」と呼ぶだけで不機嫌な返事が来る感じでした。
結婚後、私の住んでいる県で地震が起きたりすると、一言二言ですが兄から心配のメールが届くようになりました。
東日本大震災後、兄がどう思うか、送ろうかどうしようか悩んだ挙句、私から母親と距離を取ったことをメールしたところ、兄から返事がきました。
日付は2011年4月2日でした。
○○(私の名前)が言っていることは至って正常だから自分を責めることはない。
母は俺らを誰にも頼らず育てたということだけが自分の支えだと思っているのだろう。
それを否定されたら残るものがなくなるんだろうな。
だから甘え方も甘えられても扱いが分からないのだろう。
まあ○○は大変だろうが聞き流すようにするしかない。
親の夫婦仲だって俺に言わせりゃどっちもどっちだと思うが、母はそう思ってないだろう。
俺らには自分の家庭の事で巻き込むなと言ってるくせに、母は巻き込むからなぁ。
兄がこのように考えているとは思わず、びっくりしました。
母親が兄にも「家庭の事で巻き込むな。」と言っていたなんて。
兄も同じことを思っていたことが分かり、自分だけではなかったんだと楽になりました。
久しぶりにこのメールを読んで、母親から言われたことを思い出しました。
母親に違和感を感じたきっかけだったかもしれません。
まず、結婚するときに「戻る家はないと思いなさい。」と言われました。
結婚後、夫と喧嘩し1~2日実家に帰りたいと話したら、「あなたたち夫婦のことに巻き込まれたくありません。」と言われました。
「えっ?今まで散々私をあなたたち夫婦の関係に巻き込んで、こんなに悩ませてたのに?あなたがその言葉を私に言うの?」
この時のショックは大きかったです。
泣いていたら、幼い息子が頭をなでてくれました。
こう言われたから甘えなくなったのに、自分の都合のいい時は甘えて来いと言う。
そして甘えると突き放す。この繰り返しでした。
常に「私は苦労してきた、1人で私たち2人を育ててきた、私の子育ては成功した。」
と言ってました。
それを聞くたびに、こんなに私の性格が歪んでいるのに、悩んでいるのに子育てが成功?と理解が出来ませんでした。
私も2人の子供を育てましたが成功したなんて言えません。
こんな考えの歪んだ母に育てられて、悪い影響を与えていないか悩みながらの育児でした。
どこからくる自信だったのか…。
自分は褒めて他人はけなす。
「何であんたはそんな性格なの?」なんて何回言われたことか。
「相手が冗談と取れないものは冗談ではない。」とことあるごとに言っていたのに、こっちが全く冗談に取れない発言をし、「何であなたはいつもそうなの?冗談よ冗談。」
親不孝だと罪悪感がありましたが、子どもが寄りつかない、帰りたいと思わない家庭にしたのは両親だよなと思うようになりました。
鏡の法則だと、私の子どもたちも家に寄りつかなくなるのでしょう。
でも、私の子どもが独り立ちした後、家に寄りつかなかったら、子どもたちが帰ってきたいと思う家庭を作れなかったのだ、と自分を反省すると思います。