世間話で「実家には帰ってるの?」、「お母さんは元気?」などと聞かれたときに適当に答えられない。
「適当にかわす」ことが上手く出来ない。
向こうは深い意味で聞いたわけではないのに、「母親と距離を取っている親不孝な娘」を自覚し、「責められている」と感じてしまう。
年末年始が近づくと、この手の質問が増える。
だから、こっちも身構えてしまう。
実家に本当に行くか確かめるわけではないのだから、適当に答えていいのに。
コロナ禍にあって、そういう質問をされないのを楽に感じてしまう自分がいる。
他にも父親似、母親似という言葉も苦手。
性格なんて親子ではなくても誰しも同じようなところあるでしょ。
それを親子だから似てるとか、自分が母親から父親に似てると言われてきたから、悪い風にしか取れなくなってしまった。
自分も赤ちゃんを見たときなど、ふとした時に人に言っていることもあるので、相手は深い意味はないのだとは思う。
母親の愚痴も真正面から受け止めてしまった。
あの頃は、かわすことなど思いつかなかった。
自分の真面目に受け取ってしまう性格も影響して、母親と共依存になってしまったのだろう。
この前、娘の愚痴を息子に言ってしまったとき、「娘がね~」と話し始めで息子が
「ごめん、今、精神的にきつくて聞けない、聞いたら泣いてしまいそう、お母さんの話が聞きたくないわけではないのだけど…」
と言ってきた。
ハッとした。
拒否されたことに少しと、親にそう言うこともできたのかと気づいて。
でも、母親に私も言っていたな。嫌だと。
何度も言ったけど、言っても無駄だから、諦めて聞くことにしてしまったんだ。
嫌だと言い続けて、その場から立ち去ることもできたのだ。
でも仕方ない、自分を責めるのはやめよう。
あの時の私にはその選択肢はなかったのだから。
親が子どもに偏った思考を植え付けるのって宗教みたいだなと思う。
母親が、父親が「悪」だと言い続けていれば、信じてしまう子どももいるのだから。