この前、娘と出かけた。
お昼をどこで食べようか聞いたら、娘はどこでもいいと言う。
食べたいものが韓国料理しか浮かばず、韓国料理店を目指し歩いていたが、物産展をやっていたので、そこでお弁当などを買って家でゆっくり食べることにした。
娘も了承して。
娘は海鮮弁当のお店で並んでいるうちに荷物が重いことと、疲れたことも重なって機嫌が悪くなっていった。
溜息、「疲れた~。」などの娘のマイナスな感情を見聞きし、「私がお弁当を買う選択をしたから、こうなってしまったのではないか?」、「韓国料理店に食べに行けばこうはならなかったのではないか?」と思ってしまった。
前からそうなのだ。
いつもなら今回のような場合、「やっぱり韓国料理店行けばよかった?」、「物産展行かなければよかったね。」などと娘に言ってしまっていた。
でも、今回はそう言うと娘は鬱陶しいだろうと言うのをやめた。
前に娘に聞いたのだが、娘は別に私を責めているわけではなく、ただ自分の感情として「疲れた。」と言っているだけなのだ。
「お母さんが物産展に行くことを決めたから、お母さんが疲れさせた。」などとは言っていないのに、そう受け止めてしまう自分がいる。
自分のせいだと受け止めてしまい、1人で勝手に「ああすればよかったか…。」などと考え、落ち込むのだ。
なんて疲れる性格。
夫が不機嫌な時も同様だった。
「私が何かしたかな?」と不安になり、「どうすれば機嫌が直るのか。」と考えたりもした。
その反面、「なんで会社から帰ってきて不機嫌な感じ出すんだよ!」とイライラもした。
でも、自分は棚に上げてたけど、私も不機嫌な時同じことしてるんだろうな。
そして、本などで「自分の機嫌は自分で取る。」という言葉を知る。
ほんと、そうだ。
なんで、何が原因で機嫌が悪いかもわからない夫の感情に引っ張られないといけないのか。
そのことで色々考えている時間が無駄だ。
夫が不機嫌でも気にしない!
今は関心も持たなくなってしまったけど…。
子どもや友人、知人の感情にはまだ「私が何かした?」などと反応してしまうこともあるけど、段々、人が不機嫌でも引っ張られなくなってきたとは思う、前よりは。
頭では分かっていても、なかなか感情が割り切れないことが多い。