何の先入観も持たず、ただ内容が気になっていたミステリー小説。
お安い文庫本になっていたので買って読んだ。
このブログを読む人はいないかもしれないけど、もし目にしてしまった人に先入観を与えてしまってはいけないと思うので本のタイトルは書かない。
上辺だけだと見えなかったが、紐解いていくと根底にあったのは母娘問題。
その母も親との問題を抱えてたということが描かれていた。
今は時が経ったのでそこまで敏感に反応しなくなったけど、予期してないところで母娘問題に出会うと以前だと重い気持ちになったりした。
母娘問題が描かれている小説を目にすることが多くなった気がする。
以前からそういう小説はあったのかもしれない。
自分がその問題に直面したから、気になるようになったのかもしれない。
一度自分の中に取り入れると、そればかり目に入ったり、気になったりすることがある。
最近だと、ある番組で芸人のコンビ名である「ぺこぱ」の意味が韓国語で『お腹すいた。』だと知ってから、韓国ドラマを見ていると「ぺこぱ」が聞き取れるようになった。
これもある番組でやっていたのだけど、複数の人が同時に言葉を発したとき、自分の悪口を言っている言葉が聞き取れるらしい。
そんな感じかも。
洋画や韓国ドラマを見ていても、母娘問題が描かれている。
当たり前にある問題だったの?
人には言えない問題だから、みんな1人悩んで表に出ていなかっただけ?
1人悩んでいた時は、こんな悩みを持っているのは自分ぐらいだと思っていた。
「みんなは」、「普通は」、テレビや新聞で描かれている仲良し親子、友達親子なのだろうと思っていた。
「娘は実家に頻繁に行くもの。」、「孫は祖父母に会わせるもの。」と「○○すべき。」と強く思い、行きたくないのに我慢しながら行動していた。
母が家に来て外食するとき、「どこの店でもいい。」と言うので、店を決めると「そこは○○がない。」などと言われ、行きたくない感を出されること、これに似たことが多くあった。
母の意見を聞きすぎて、機嫌を気にしすぎて、自分で決めることが出来なくなっていることに気づいた。
だから、距離を取ることにした。逃げた。
「母親が嫌い。」なんて思うこと自体駄目で、そう思ってても認めてはいけないような気がしていた。
今でもこうして言葉に表すのは気が引ける。
「母」というものが神聖化しすぎていて。
育てて貰ったのだから、そんな風に思ってはいけない、そう思う私の方が悪いと思っていた。
子どもを育てていても、「自己犠牲して子どもを優先するべきなのだ。」と思っていた。
「私はいいから、あなた達が食べなさい。」みたいな。
それが出来ない私は、子どもに愛情がないのかと悩んだりもした。
母娘問題の様々な体験談が本になり、漫画になり、新聞に載り、テレビ番組で取り上げられ、NHKの「あさイチ」までも特集を組むようになり、芸能人も体験談を語り、「親のことをそんな風に思っていいんだ。」、「声に出していいんだ。」、「逃げていいんだ。」と思うようになった気がする。
勇気を出して友達に話して、その中の受け入れてくれた人が相談相手になってくれた。
相手の感情に敏感だから、「こう言ったらどう思われるか。」などと気にしてばかり。
相手は私の事なんてそんなに気にしていないのに。
些細な事でも人に何か言われるとダメージを受けてしまうけど、「この人はそういう考えを持っているのね。」と思えたら、割り切れたら楽になれるのに。