あれでよかったのか…日々のこと。

どうってことない日々のこと

母親と距離を取るまで

母親は私が物心がついた時から父親の悪口を言ってきました。

自分の生い立ち、結婚の馴れ初めから日々の愚痴、父親の兄弟の悪口。

確かに父親も勝手なことをしていたので仕方ないと思うこともありましたが、私が大きくなると、今まで言ってなかったけど、あの時はこうだった、ああだったと内容がどんどん重くなってきました。

母を早くに亡くし、厳しい父と色々あった、娘がいてよかった、結婚して良かったことは子どもたちがいること、などと聞かされ続け、ある時から「母親には頼る人が私しかいないんだ。私が支えないと。」と思うようになってしまいました。

父親へも、苦労してきた母親にこんな思いをさせて!と嫌悪感が生まれました。

自分との関わり方で父親を見るのではなく、母親を通して父親を見ていました。

なので、いい印象が生まれるわけはなく。

母親は父親が近くにいても悪口を言うのです。どうせ耳が悪くて聞こえない、と。

私は気が気ではありませんでした。

このような家庭に育って、人の顔色を伺うように、人に過剰に気を使うようになってしまったのかなと思います。

 

そして、散々父親のことを悪く言った挙句、私に「そういう所、お父さんに似てるよね。」、「それは○○家(父親の苗字)がよくやる。」、「私はお父さんと他人だけど、あなたは血がつながってるよね。半分お父さんの血が流れてる。」と言うのです。

そうでなくても、色々考える思春期にこんなことを言われ続け、夫婦喧嘩を目にし続け、自分は何で生まれたのか、そんな嫌な人の血が流れているのか、消えたいなどと考えるようになりました。

 

今、客観的に考えても、この環境で自己肯定感を得るのは難しいような気がします。

 

あまりに「○○家は…。」とマイナスなことを言われるので、自分の苗字も嫌になるくらいでした。

母親は何かと人のせいにしている感じがしました。

愚痴を聞き続けていたある時、「何で結婚したの?」と聞くと「お父さんが結婚してくれと頼んできた。あの時は色々あったから。」と言います。

自分でもどんな理由であれ結婚しようと思ったはずで、嘘でも子どもの手前「結婚当初はお父さんのことが良く見えたので結婚したのだけど違った。」くらい言ってほしかったですが、結婚も自分の意志がなかったように言うので、その二人の間に出来た私って…と思っていました。

 

「何で離婚しないの?」、「家を建てるのに自分のお金を使ったし、一人で暮らすのは経済的に大変だから。」とのこと。

結婚も家庭内別居も自分で選んだことなのに、私に愚痴を言ってくる。

夫婦間の軽い愚痴ならともかく、重い内容ばかり。

友達もいたはずなのに。

 

精神的に苦しかったですが、母親には私しかいないから、母親の愚痴を聞いてあげなければと思い続けてました。

それが結婚・出産し、私の考えが変わってきます。

母親が言ってたことがおかしくないか?という疑問が生まれてきました。

そして様々な本を読み、共依存にたどり着きます。

母親は、私は可哀そう、私をもっと心配して…という要求が多いことに気が付きました。

どれだけしても、「もっと、もっと」と要求している感じです。

母親も自分の親との関係が良くなく、愛情に飢えていたのではないかと思います。

そして、その愛情を夫から得ようと思ったら夫が当てにならず、娘の私に頼ってきたのではないかと思います。

父親と母親は会話もなく家庭内別居状態。私が一緒に住んでいた時から、父親と母親の間に入って会話のやり取りをさせられていました。

「お父さんにご飯いるか聞いて。」など。

結婚で他県に引っ越したのですが、知り合いもいないので、一人目の出産のときに里帰り出産をしました。

本来なら精神的に楽になるから里帰り出産をするのだと思いますが、相変わらず父親と母親の間に入って会話のやり取りをする、愚痴を聞かされることになりました。

一緒にいる時間を減らして愚痴を聞く機会を少なくしましたが、それでも愚痴を言ってきました。

気が休まらない里帰り出産でした。

 

孫を親に会わせなくては、と義務感のように思い実家に帰省していました。

本当は行きたくありませんでしたが、普通の家庭はやっていること、と思い帰省してました。

二人目の出産時、精神的によくないので里帰り出産をしないことにしました。

母親が、「実家の方が私の車もあるし、買い物もしやすい。こっちに来るのは大変。」などと、こちらが何も言っていないのに里帰り出産を勧めてきました。

こちらに来たくないと、ことあるごとに言っていました。

出産時に夫が面倒みられない場合に備え、上の子を一時預かりしてくれる保育園を探していました。

そうしたらこんな会話になりました。

母親:何で頼ってこないの?頼ればいいじゃない。

私:うちに来たくないって言ってたし。あんなに来たくない感出してるのに言えるわけない。

母親:それでも来てくれと言ってくればいいじゃない。

私:私はあんな風に言われたら言えない。

母親:あなたには実の親も義理の親もいるのだから甘えればいいじゃない。

 

今まで甘えては突き放されてきました。

母親に散々気を使って過ごしてきて、嫌がってるのに来てなんて言えるわけありません。

来てもらっても愚痴を聞くことになるし、まず来てほしいと思ってないので、嫌がっている母親に来てほしいと言う気もありませんでした。

これは娘の私から見た理想かもしれませんが、本当に娘のことを思って手伝いたいと思っているなら、娘のやりたいようにするのをサポートするものなのでは?と思いました。

母親の頼ってこいという言葉は、私の立場を無視し、自分のことしか考えてない言葉に感じました。

 

何度も、何か思っていることがあるなら言いなさい、と言われました。

その度に思っていることを言うのですが、そんなことより私の方が大変、私の方が可哀そうと自分の生い立ち、今まで言ってなかったのだけど…と新たな父親の愚痴などを話し始めるのです。

私の話を受け止める気がないのに聞いてくる、そして話をすり替えて自分のことを話し出す。

こんなことを繰り返すうちに、これは何を言っても聞く気はないなと思うようになりました。

父親についての愚痴が夜の夫婦生活の話になったとき、もう、これは違うでしょ、と限界が来ました。

 

ある日の読売新聞の人生案内で、親の愚痴を聞かされるという相談があったとき、回答者は「親の愚痴は聞いてあげてください。聞き流せばいい。」とありました。

それが出来ないから相談してるのだと思うのです。

流せたら悩まずに済むのです。

親のことを受け止めてしまうから悩むのです。

流せる人もいると思いますが、私は流せなかったです。

 

ある時思ったのです、これ、いつまで我慢しなければいけないの?と。

じゃあ、いつまで我慢するの?親が死ぬまで?それまであと何年?それまで我慢するの?私の人生、どこまで母親に支配されないといけないの?

じゃあ、親が亡くならないと解放されないの?

日々会ってるわけでもない母親から心を支配されてるのに、亡くなったからと言って解放されるの?されない気がする、と思いました。

母親の顔色を見て行動するのにも疲れていました。

 

ある時から電話の着信音が鳴るのが怖くなりました。母親からの電話だと思うからです。

胃も痛くなり、気も重い日々が続くようになりました。

そんな時、東日本大震災が起こります。

母親とは向こうから電話があり安否確認は取れました。

母親はボランティアで外国の方と関わっていました。

少しして、電話があり「母国に帰った外国の方たちから心配の国際電話を何件ももらった。なのに何であなたは心配の電話をくれないのか。」と言いました。

そこまでする必要あるのかと正直思いました。

一度安否確認したし、こちらにも生活があるので親に電話するということが頭にありませんでした。

私的には母親のことを愚痴を聞くことで受け止めていると思っていましたが、母親の要求には終わりがないのではないかと思いました。

もう本当に限界でした。

皆さんが「絆」で結ばれている中、私は母親と距離を取る決断をしました。

 

私の相談を聞いてくれていた保健師の方も心理士の方も、今の夫と子どもとの生活が大事、母親と距離を取ってもいいのでは?と前から言ってくれていました。

でも、「そんなことするなんて親不孝」などと思ってしまい、ずっと踏み切れずにいました。

もっと大きな理由として、我が子から祖父母との関わりを奪ってしまう罪悪感が大きくありました。

でも関わり続けると、母親が私の子どもに父親の悪口を言いだすのではないかという思いもありました。それは避けたかったのです。

色々考えた挙句、私の精神が不安だと夫と子どもにいい影響は与えないだろうと思い至りました。

そして、数十年も母親の愚痴を聞いてきたのだから、もう私の人生を生きてもいいのではないかと思いました。

 

何を言っても私の気持ちは否定されるので、私はこう思ってると伝える気はありませんでした。

ただ「今まで人の顔色を伺ってばかりいて、自分の意志で行動していなかったように思います。しばらく一人で考えたいので、そっとしておいてください。」とメールしました。

「分かりました。」の返事が来て以来接点を持っていません。

父親とは、たまに子どもたちを連れて会っていました。

逆に母親と関わりを持っていた時、父親と孫の接点はあまりありませんでした。

 

距離を取ったからといって、すぐに気が楽になるわけではありませんでした。

それから、「罪悪感」が続くのです。

掃除しても何をしていても、この決断でよかったのか、親不孝なことをしたのだ、親が病気になったときなどどうしよう、などと考え、結局胃に悪影響を与えました。

 

少しずつマイナスなことを考える時間が少なくなって、何年かかかって、あまり考えないようになりました。

そして、母親と娘の確執がテレビや新聞で取り上げらるようになりました。

こういう悩みがあると人に言える環境が出来てきました。

読売新聞の人生案内でも、母親と距離を取るようにという回答者も出てきました。

読売新聞で「オトナの親子」という月1回の連載が始まったのには驚きました。

成人した子と親の関係についての体験談が載せられました。

私もメールしたところ、電話取材を受け、記事に体験談が載りました。

電話取材のとき、母親のことをこういう風に思うことに罪悪感があります、と言ったところ、同じような悩みが多いと聞きました。

意外な反面、安心もしました。

親のことをそう思ってもいいのだと。

 今は胃に異常もなく精神状態は良い方だと思います。

長々、昔のことを思い出して書いてみました。