あれでよかったのか…日々のこと。

どうってことない日々のこと

母親との共依存

母親との関係に向き合い始めたのは2006年、距離をとることにしたのが2011年。

母親も一生懸命育ててくれたのだと思います。母親も親との関係が良くなかったようなので、それが影響してるのだと思います。

ただ、母親は自分の悩みを自分で解決せずに幼い私に頼ってしまった。

「私、こんなに可哀そうなの、助けて。」と。

でも、こちらは精神的に未熟で学校での友人関係や、自分て何?などと考えたり、自分のことで精一杯な年ごろ、思春期、受け止められるわけがありません。

でも、あまりに受け止めろと言ってくるので、こちらが大人になるしかなく、母が頼るのは私しかいないんだと共依存に陥りました。

違和感を感じながらもその関係は続き、結婚・出産を経て客観的に見るようになりました。

それまでも色々ありましたが、今まで聞き流したり、我慢していたことが、できなくなってきました。

息子の3歳児健診の時に、どうしても感情的になって育児をしてしまっていたので、希望者が行く育児相談に行きました。

そこで、私と親との関係が育児に影響を及ぼしているかもしれないと言われました。

そして、公には募集していない、育児相談などを受けた方が紹介される会に誘われました。

その会は市が行っていて、保健師さんが司会をし、心理士の方が同席し、話したいことを話す、他の方の話に意見をしない、否定しない、感情的になってしまったら退席しても構わない、ここでのことは口外しない、という約束の元行われました。

子どもは保健師さんが見ていてくれました。

月1回大体2~3名の方が参加していて、初めは、人の前で悩み事を話すことに抵抗がありましたが、保健師の方も心理士の方もゆったり受け止めてくれる感じで、慣れてくると子どものこと、母親とのことなどを話すようになりました。

そこで、やっぱり母親の言ってることはおかしいのだと認識するようになっていきました。

それまでは夫には相談して受け止めてもらっていましたが、もっと客観的に見てくれる第三者が言うのだから、そうなのだと。

でも長年植え付けられたものは簡単には解けません。

母親を悪く思う、距離を取ることに罪悪感が生まれます。自分が上手く育児ができないのを親のせいにしているだけでは?

虐待されたわけではなく、産んでくれた実の親のことをこんな風に思っていいものか、親不孝なのでは?など。

 

この会への参加と並行して本もたくさん読みました。

今は母親からの支配などテレビや新聞で特集されたり、体験された方が漫画で描いたり、多くの本が出ていたり、この悩みを共有できる機会が増えていますが、当時は育ててもらった母親への文句を言うことは出来ない環境でした。

友達も両親が仲が良い方が多かったので、話しても分かってもらえない

と話せずにいました。

ネットで同じような悩みを検索しても、「親不孝」、「育ててもらったのに文句を言うなんて」、「鏡の法則で自分の子どもから同じことされますよ」、などと否定的なものが多かったように思います。

その頃、スーザン・フォワード著の「毒になる親」があり、私の体験とは違いましたが、借りて読みました。

私が購入したのは、ダン・ニューハース著・玉置悟 訳「不幸にする親」です。

これはとても参考になりました。

 

 

西尾和美著の「心の傷を癒すカウンセリング366日」にもとても助けられました。

順番に読んでもよいし、ぱっと開いたところを読んでもよく、機能不全な家庭で育ち、精神的に不安定な私はこれを読んでとても楽になりました。

色々書いてありますが、自分に合うところだけ読んでいました。

自分が読んで楽になれるところを。

 

心の傷を癒すカウンセリング366日 (講談社+α文庫)

心の傷を癒すカウンセリング366日 (講談社+α文庫)

  • 作者:西尾 和美
  • 発売日: 1998/10/20
  • メディア: 文庫
 

 

 そして信田さよ子著「母が重くてたまらない」、根本橘夫著「なぜ、自分はこんな性格なのか?」、加藤諦三著の「自分に気づく心理学」「イライラのおさめ方」「無理しない練習」「たくましい人」などを読みました。

 

本を読んで行きついたのは、「自己肯定感」。これがないことに気づく。

自分の生きにくさを全部親のせいとは思っていません。持って生まれたものも影響してると思います。

親がどうであろうと自己肯定感のある方もいらっしゃると思います。

こればっかりは相性というか、受け手の子どもの性格も影響するのかなと思います。

子どもが幼いころから母親が働いていて、その背中を見て、「私も母のように働こう。」と思う方がいる反面、「私が幼い時、母は働いていて寂しかったから、専業主婦になろう。」という方もいる。

ある気持ちを抱いて子どもに何かしても、それをどう感じるかは子ども次第になると、自分が子育てをしてきて学びました。